福岡地方裁判所 昭和32年(行)10号 判決 1958年9月30日
原告 春永孚
被告 小倉市議会
主文
被告が昭和三十二年六月八日なした原告を除名する旨の議決はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として、
「原告は昭和三十年五月二日以来被告市議会の議員であるが、被告市議会は昭和三十二年六月八日開会の議会において原告を除名する旨の議決をなした。右除名議決は原告を支持する被告市議会内の二会派、すなわち清風会及び市政同志会の所属議員全部の不出席のまま開かれた議会において突然提出された懲罰の緊急動議に基き、原告に対する懲罰としてなされたもので、その理由とするところは別紙記載(一)乃至(四)の理由である。
しかしながら各(一)乃至(四)の理由はいづれも地方自治法及び被告市議会会議規則に規定された懲罰事由に該らないものである。すなわち、
(一) 懲罰理由(一)は、原告が昭和三十年十二月十九日被告市議会において懲罰を受けたことを前提としているが、同日開催の定例会において、原告は懲罰の採決に入る前に陳謝の発言をなしたので、懲罰についての議事は打ち切られ、懲罰の議決はなされていない。したがつて右懲罰理由はその前提を欠き、結局懲罰理由は存在しないことに帰着する。更に右理由は『同氏はその後において……中略……自分は懲罰を受けたことなき旨を公言し今日もまた同様の主張を続けている』と述べているが、具体的に何時、如何なる機会に右の如き言動をなしたかについては、全くこれを明らかにしていない。懲罰を受けたことがあるか否かは特に問題となつた場合のほか話題となることはない筈であり、特に原告が除名を受けた当時の昭和三十二年五月定例会の会期の前後において、原告が右の如きことを公言したり主張したりする機会もなく、又そのような事実もない。それ故この点においても右懲罰理由は存在しない。
(二) 懲罰理由(二)について、被告市議会は昭和三十二年一月十九日の臨時会において、被告市議会の議長たる原告に対して不信任の議決をなしたが、地方自治法は地方公共団体の議会の議長の不信任議決について何等の規定を設けていないから、右議決は議長の地位に何等の法的効果を及ぼすものではない。したがつて仮りに原告がこれを法律上の効力を生じない議決であると評したとしても、また右議決に反対の意見を有して議長の任を退かないとしても、これらの事実を目して地方自治法又は被告市議会会議規則に違反したものといい得ないことは当然である。
その上右不信任議決の内容とするところは、同日被告市議会の承認のあつた市政調査特別委員会の報告により原告に議員として遺憾の点があることを認めたが、他にも昭和三十年十二月十九日議場において陳謝の懲罰を受ける等本市議会議長として適格を欠く点少なくなく、この機に際し各流交渉会の総意をもつて議長職の辞任方を勧告したけれども、右委員会の結論に承服し難いとの理由によりこの道義的勧告に応じないから不信任決議をするというにあるが、右不信任議決の内容及び辞任勧告の理由に議長としての職務の遂行上適正を欠いた具体的事実は何等示されておらず、又右理由中『省るに春永氏が本市の議会議長に就任以来議会内部及び庁内に好ましからざる空気を譲成し、春永氏の極端な性格、行為が議会の民主的運営に多大の支障を与え、市政遂行上しばしば好ましからざる事態を惹起した』とある部分は具体的事実に基かない独断に過ぎず、原告が議長として不適任であるとか或はその意見が正しくないと判断さるべき理由とはならない。議長が議員のすべてに好感を持たれるように振舞うことが必しも議会の正常な運営とその機能の発揮に寄与する所以でないと信じている原告が、右の辞職勧告又は不信任議決に基いて議長の職を辞さないとしても、不法、不当視さるべきいわれはなく、また市政調査特別委員会の調査は、後記のように、元来市の執行機関の行為の適否についてなさるべきもので、たとえ原告が右調査の対象となつた事項に関係があるとしても、それは議長乃至議員としてではなく、原告個人の問題であり、原告が個人としてその調査の結果に異見を有しているに過ぎず、右調査の結果が議長の辞職を必要とするものでない以上、その調査結果に基き議長の職を辞する決意をしないからといつて、そのことは懲罰を科する理由とはなり得ない。
更に被告市議会の昭和三十二年一月の臨時会は同月十八、十九日の二日間にわたつて開催され、第一日は市政調査特別委員会の報告、二日目はこれが承認とその後引続いてなされた不信任議決後直ちに閉会されており、まさに不信任議決をなさんがために招集され且つこれを以て終りとしている観があつて、そのことから推して右特別委員会の設置そのものが委員会本来の趣旨を逸脱し、原告の個人的行為の調査を目的としてなされたものではないかとすら疑わしめるほどである。
しかして被告市議会の昭和三十二年三月定例会においては右議長不信任議決の点は特に問題とされることなく会期を終了していたのに、同年五月定例会において突如としてこれを懲罰の理由としたことは、会期不継続の原則に反するのみならず、議長を辞任させる手段として懲罰の動議を提案し原告を除名するに至つたものというほかはなく、かかる理由により原告に対する懲罰として被告市議会の科した除名の議決は違法である。
(三) 懲罰理由(三)について、原告が『口を開けば小倉市議会を粛正すると叫んでいる』が如き事実はなく、又朝洋新聞にその旨公言発表したこともない。原告は右朝洋新聞の社長であるが、その編集兼発行人として記事につき一切の責に任じている者は訴外村上寿男であつて、原告にその直接の責任はない。朝洋新聞の記事即原告の発言であると解することは誤りも甚しいものである。また仮りに議会を粛正するという文字が朝洋新聞に記載されていたとしても、そのことが直ちに『議会に何等かの不正あるを思惟せしむる』ものでもなく、また議会自体の名誉を傷けるものでもない。なぜなら右の言辞は何等具体的事実を表現するものでもなく、議員の不正乃至非行を指摘するものでもないからである。若し被告市議会において右記事につき「議会を侮辱し、議会の信望を失墜せしめた」と考えるなら、宜しくその具体的内容、右記事と原告の言動との関係、原告にその責任ありや等の諸点を慎重調査の上、果して右のような事実に該当するか否かを確定し、更に原告を懲罰に付するとして、如何なる懲罰を相当とするかを審議すべきであるにもかかわらず、それらの調査審議のなされた形跡は全く見当らないのである。
次に原告が昭和三十二年一月二十二日市役所内に『市議会議員が市当局に圧力を加え、不正を加えているかの如き言辞を連ねたビラを貼布し市吏員並びに市民に疑惑の念を抱かせた』というのも事実に反する。
右ビラは特に執行機関の長たる小倉市長の了承を得て掲示したもので、その掲示の内容は、執行機関と議決機関との職能と責任の区別を明確にすることが市政運営上好ましいことであるから、それらの紛訌を避けるため、議員において若し誤つた考え方をしている者があれば議長に申出られたい、議員間において警告反省し市政の明朗化に寄与したい、という趣旨であつて、その意図、掲示の内容のいづれにおいても、被告市議会議員を侮辱したり、被告市議会の権威を傷けたりするものではなく、且つ掲示の結果侮辱された議員や右掲示により被告市議会議員に不信の念を抱いた吏員や市民があつたとは考えられない。右ビラの掲示は昭和三十二年一月二十二日より二十七日までのことに属するが、その後被告市議会の三月定例会の会期中に原告懲罰の動議が提案され、審議されたことがあつたのに、その右事実は全く問題とされず、他の理由により原告に対し出席停止五日間の懲罰(除名を除けば最大限の懲罰)を科し、更にその後の同年五月の定例会に至つて右事実を理由の一つとして原告を懲罰に付したことは、議会の会期不継続の原則に反し、何等の必要がないのに懲罰権を乱用するものというべきである。
(四) 懲罰理由(四)には『更に又春永議員は本年三月九日開かれたる本市議会において同氏が昨年九月五日設置された市政調査特別委員会の報告を否認する言動は、本市議会の議決を無視否定するものであるとの理由を以て、本年三月九日の議会において出席停止五日間の懲罰に付せられたにも拘らず、尚今日に至るも悔悟反省の色なく、右特別調査委員会の調査結果に含まるる自己の責任を履践せざるのみならず、却つて右委員会の調査結果に対し今尚非議をたくましうしている次第であつて、議員として議長として赦し難い言行と申さねばなりません』とあるが、このようなことが懲罰理由たり得るとすることは全く理解に苦しむところである。
右市政調査特別委員会の報告とは、富野市有地の管理に関する件及び予備費より交付金の支出に関する件についての市政調査特別委員会報告書の記載を指すものであるが、富野市有地の件については、昭和三十二年一月二十九日小倉市と春永驍朗(原告の長男)との間に調査の対象となつた市有地について売買契約が締結されてその処理は既に終つているものである。次に予備費より交付金の支出の件は、原告が昭和三十年十二月交付せらるべき期末手当金五万一千円を受領せず、これを財源として小倉市より社会福祉協議会に金五万一千円を交付されることを希望し、結局その趣旨において小倉市より社会福祉協議会に金五万一千円が交付されたものであるが、ただ小倉市から社会福祉協議会への交付が事務処理上時間を要するので、昭和三十年十二月原告が立替える趣旨で金五万一千円を社会福祉協議会に交付し、後日小倉市から社会福祉協議会に金五万一千円が交付された際これを原告に近還を受けることとなつていたところ、その事務処理に不備な点があつたという事案であつて、小倉市からの交付金が社会福祉協議会の帳簿上では同会に受入れられたことになつていなかつた点をとらえて『春永議長がこのような違法な事務手続をなし、市の交付金を宙から宙に処分したことは言語同断の処理といわざるを得ずその責任を免れないものである。而もこれに対する完全なる事務処理もなされておらず市の交付金が斯くの如き処置によつて使用されることは誠に遺憾であり悔を将来に残すものと思われるので厳にいましむべきことである』との結論が出された。これは事案を期末手当の受領辞退と、これを財源とする市から社会福祉協議会への同額の金員交付とを一連の関連ある行為と見做さなかつた点に右の如き結論が導き出された理由があり、それは殊更に原告に不利益に事案の解釈をなしたものというべく、しかも直接事務処理に当らずこれについての認識のなかつた原告に対して、社会福祉協議会の事務処理の不備を理由に市議会議員たる原告の責任を云々することは失当も甚しく、その意図及び結果のいづれにおいても原告に不当な点はない。
仮りに前記市政調査特別委員会の調査の経過又は結果に関する原告の言辞に非難さるべき点ありとしても、それは原告の議員としての職務外の行為に関する個人的のものであつて、地方自治法又は被告市議会会議規則に規定された議員としての懲罰事由には該らないものであり、又別紙懲罰理由(四)のうち『却つて右委員会の調査結果に対して今尚非議をたくましうしている次第であつて』とは如何なる事実を指称するのか不明であるばかりか、かかる事実は全く存しなかつたものである。しかも被告市議会は前記事実を目して『権威ある小倉市議会の議決を無視し否定するものである』とし、昭和三十二年三月定例会の会期中、同月九日原告に対し五日間の出席停止の懲罰を科しているのであるが、それと全く同一の事実を理由に重ねて本件除名の懲罰を科したことは、一事不再理の原則に反し違法といわざるを得ない。
ところで議会における懲罰は、議会が現在における議会内の規律を維持するためのものであつて、議会外の言動や過去のそれは懲罰の対象たり得ないというべきところ、本件懲罰理由はすべて原告の過去における議会外の言動をとらえて懲罰の事由となしたもので、いづれの面からしても違法である。
仮りに議員の議会外の行為が懲罰理由たり得る場合ありとしても、それは『その行為が正当の事由を全く欠除し、しかも議会の存立、活動と場所的、時間的に接着する等密接不可分の関係にたち、議会の円滑な運営が妨げられ、或は妨げられる現在且つ重大な危険が存する等極めて例外的場合に限られるもの』と解すべきところ、前記懲罰理由に掲げられた事由は、すべて本件懲罰議決のなされた昭和三十二年五月の被告市議会定例会とは全く関係がなく、且つまた右会期中に発生し本件懲罰議決のなされた同年六月八日までの間に、その議題となつたり、審議に関連して問題となつたりした事項ではない。したがつて原告に対する本件除名議決の違法たることは言を俟つまでもなく明らかである。
仮りに本件懲罰理由の一部に懲罰該当の事実ありとしても、その懲罰理由として掲げられている事項の大部分が地方自治法乃至被告市議会会議規則に違反するものではなく、被告市議会の現在における規律維持のため原告を議会から排除しなければならないほどの事情は存在しなかつたのであるから、原告に対する懲罰として除名を以てのぞんだ本件議決は、懲罰の種類の選択において著しく客観的妥当性を欠き甚しく不合理である。
よつてこれが取消を求めたく本訴に及んだ。」と述べた。
(立証省略)
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
「原告が昭和三十年五月二日以来被告市議会の議員であること並びに被告市議会が昭和三十二年六月八日開会の議会において別紙記載の(一)乃至(四)の理由に基き原告を除名する旨の議決をなしたこと、及び同年三月九日被告市議会が原告に対し『権威ある被告市議会の議決を無視し否定するものである』との理由で原告を懲罰に付し、審議の結果『五日間出席停止処分』を議決したことは認めるが、その余の事実は争う。
ところで先ず地方自治法上の議会の懲罰権の本質と限界について考察するに、日本国憲法はその前文において『ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。』と宣言して民主政治の本質を明らかにしているが、その具現の一方法として憲法は地方自治の制度を規定し、これを更に具体化すべく地方自治法が制定されている。かくて地方自治法に基き、当該地方公共団体地域の政治権力の行使は、その地域の住民から選出された地方議会議員に厳粛に信託されると共に、選ばれた議員はこの厳粛な信託に応えるべく、その言動が厳しく規制されることはいうまでもない。議員懲罰の根本原理は、議会それ自体が有する紀律権に基き、右に述べた地方自治の基本精神からこれに反する議員の言動に対してその責任を追求するところにある。したがつて懲罰の対象となる議員の言動は、それが単なる個人の私生活に関するものでなく、民主議会の威信保持とその運営に直接密接な関係あることがらに関する限り、議会の会期中であると否とを問わず、又議場の内外を問わず、その責任が厳しく追求されることは当然であり、この精神から地方自治法はその第百二十九条乃至第百三十三条の各規定において、議会の秩序維持のため議員その他の言動を規制し、第百三十四条において地方自治法並びに会議規則及び委員会に関する条例に違反した議員に対し議決によつて懲罰を科することができる旨明言しているのである。しかして右各規制条項はその文言上会議中の議場、委員会場での言動のみに制限されているように解されるけれども、前記の如く、議員懲罰の根本が、民主議会の威信とその民主的運営を阻害し、国民の厳粛なる信託に背く言動に対する政治責任の追求にあることからして、単に文言どおり会議中の議場、委員会場での言動に限定すべきものではなく、議会の威信保持、議会及び委員会運営と重要且つ密接な関係ある言動に対しては懲罰を科し得ると解すべきことは、議会における懲罰が議会自体がその秩序維持と権威保持のために有している固有の紀律権であるところからして当然のことであると信ずる。これを要するに、議会の議員に対する懲罰権は議会自体がその秩序を維持し、その権威を保持し、国民の厳粛なる信託に応えるために有する固有の紀律権であり、以て民主主義を貫徹する責務を有するものであるから、これが責務遂行のためであるならば、会議中の議場、委員会場の言動にのみ制限されるべきではなく、又その会期中に限られることなく、且つ具体的に実体規定の定めがあることを必要とするものでもないと解すべきである。
本件懲罰理由の掲げるところは、いづれも地方自治法の規定する議会の秩序を乱し円滑な進行を妨害するものであり、無礼侮辱の言動に該当し、且つ被告市議会会議規則第百十条第一項『すべて議員は議会の品位を重んじなければならない』、同条第四項『議員は議場または委員会の会議室において互に敬称をもちいなければならない』(原告はガラクタ議員どもがと放言したこともある)、同第十一条『会議の規律についてはこの章に定めるもののほか地方自治法第百二十九条ないし第百三十三条の規定による』等の諸規定のいづれにも違反するものである。
原告は本件懲罰理由を以てしても、なお地方自治法及び被告市議会会議規則のいづれにも該当しないと強弁しているが、このこと自体原告が民主議会の如何なるものであるかを理解しない明らかな証左である。
そこで以下本件懲罰の議決について述べる。
昭和三十二年六月八日の本件懲罰の議決に際し、原告は自己支持の二会派、すなわち清風会及び市政同志会所属議員全部不出席のまま云々と主張しているけれども、その当時被告市議会の議員構成は、法定議員定数四十名中一名死亡による欠員のため、在職議員三十九名で、無所属の原告を除き、その他は六会派のいづれかに所属し、会派別所属議員数は、清風会七名、市政同志会五名、公政会八名、同友会七名、革友会六名、親交クラブ五名となつており、当日の議会出席議員は除名議決を受けた原告と除名議決後に入場した柿西勝太郎議員を含め合計二十九名に達していて、その中には清風会所属の安部実、木村証両議員も含まれており、他の右会派所属議員も各議員控室には出席していたのであるが、ことさらに本会議には出席しなかつたので、出席議員二十七名(原告及び前記柿西議員を除く)満場一致の除名議決となつたもので、決して原告支持議員不出席の間隙に乗じて突如この議決がなされたものではない。このことは原告除名直後副議長(明石清彦)も辞任したため、これによつて生じた各空席をうめるべく、その選任のため開かれた昭和三十二年六月十一日の議会においては、前記清風会及び市政同志会所属議員も出席して(市政同志会所属議員中二名出席)合計三十四名の出席議員により、議長(明石清彦)は二十六票(無効八票)、副議長(永野栄二)は三十一票(無効三票)で選出されている実状からしても、前記六月八日の原告除名は再確認されたことを充分に窺い知ることができるのである。しかして昭和三十二年六月八日の議会は原告を含めた二十八名(前記柿西議員を除く)の議員出席の上議長たる原告によつて開会が宣せられ、適法に成立した後、永野栄二議員から原告懲罰の動議が提出され、これに八名の賛成者があつて右動議は地方自治法第百三十五条第二項の要件を具え有効に成立したのち、右動議は議題として上程され(動議成立により地方自治法第百十七条により議長たる原告は退席し、代つて副議長明石清彦が議長席についた)満場一致で可決された。すなわち議員定数四十名中二十七名の出席であるから、地方自治法第百三十五条第三項の要件をそなえている。その後議長は被告市議会会議規則第百十二条第二項(地方自治法第百三十五条第二項に定める手続を経て懲罰動議が議題となつたときは議長は討論をもちいないで会議に諮りこれを懲罰委員会に付託しなければならない)に基き、懲罰委員に十二名の議員を指名し、懲罰委員会が成立して休憩が宣せられた。かくて成立した懲罰委員会は即日開催され『懲罰に付するを適当と認め、地方自治法第百三十五条第一項第四号に基き除名すべき』旨決定し、次いで再開された本会議において右委員会の審査の経過及び結果が報告され、地方自治法第百三十五条第三項の要件をそなえる出席議員二十七名全員一致で、懲罰委員会報告どおり原告の除名が議決されたものである。したがつて原告除名の議決は地方自治法並びに被告市議会会議規則に基き適法になされたものである。
次に本件懲罰の理由は別紙記載(一)乃至(四)のとおりであるが、これにかかげられた事由につき説明を加えると、
(一) 懲罰理由(一)について、昭和三十年十二月十九日の議会に付議された原告に対する懲罰は、同月七日の議会で上程可決され懲罰委員会に付託されたものであつて、その懲罰理由は『昭和三十年十一月三十日の本会議において質問を通告した議員の発言を許さず強行に閉会を宣し、なお閉会に異議ありと発言した議員三名あるも、これを会議に諮ることなく、直ちに散会せしめたるは、議会会議規則第五十五条、第八十条(註当時の会議規則)並びに地方自治法第百十四条に違反し、議会運営の民主的明朗性をみづから破壊する非民主的独断行為で懲罰に該当する』と謂うにあつた。懲罰委員会は右十二月十九日の本会議に『懲罰に付し次のような陳謝文を朗読せしむることに決定した』旨報告した。右陳謝文の内容は、
『去る十一月三十日の本市議会において私の議事運営の拙さから懲罰委員会の設置となり市議会を混乱におとしいれ、多大の御迷惑をかけましたことは、私の不徳の致すところとは申せ、甚だ申訳のない次第であります。これを機会に、今後においては民主的な議事運営に一段の努力を致し議員各位の要望に応える決心であります。
右陳謝致します。
昭和三十年十二月十九日
小倉市議会議長 春永孚』
というのである。
右委員長の報告あるや、原告は直ちに議長の許可を得て前記委員会決定どおり右陳謝文を朗読したので、議長は議会に対し異議なきやを諮り、議会はこれを了承したのであつた。右は懲罰委員会の報告どおり本会議が懲罰することを議決し、懲罰としての陳謝文朗読がなされたものであつて、報告の採決、それに基く陳謝文朗読とその承認とが区別されていないことを取上げて『懲罰を受けたことなし』と今尚これを高言しつづけている言動は明かに議会を瞞着侮辱するものであり、議会の品位を汚すこと甚しいものである。
(二) 懲罰理由(二)について、議長の不信任案の発議及びその決議に関しては、国会法にも何等の定めがないが、国会の運営上これをなし得ることは当然である。それで衆議院は同院議定の衆議院規則第二十八条の二に議長の不信任に関する発議の方法を規定しており、地方自治法は、県、市、町村会議長の不信任の発議及び決議につき特別の定めをしていないが、趣旨は国会法と同一である。そして不信任案が可決されるか、信任案が否決された場合は、会議の性質上議長は当然退任すべきものであり、不信任案が可決されても法律に当然失格する旨の規定がないからといつて、そのまま議長の職に居据るという如きは、会議体の本質に悖り、民主政治の根本理念に反するものである。不信任の決議を受けながら恬として恥じず、所謂頬冠りで行こうという如きは、全く例外的のものであり、それ自体が議長たる資格のないもので自治法の精神に反するものであり、除名の理由十分であると思料する。
なお議長不信任の決議は議会内部の紀律を維持するための自律作用として自治法上認められているものであるから、特に明文を待つまでもなく会議体本然の自主的運営として決議し得るものであつて、寧ろ法以前のものとして肯定されねばならない。
(三) 懲罰理由(三)について、当時市庁舎内の掲示については何人も予め市長の許可を受けなければならぬことになつていたが、原告は正式手続を践むことなく恣ままに後記のようなビラを市庁舎内に掲示し、このこととその内容が問題となるや、掲示数日後に市長宛許可願を出すに至つている。その内容は昭和三十二年一月二十一日附小倉市議会議長春永孚名義で市職員宛『行政事務に関する議会議員の行為について』と題し『従来市議会議員が個人の資格において庁内各部課を訪問の上執行機関の権限に属する事項につき越権的な申入れもしくは強要をなし、しばしば行政上の支障をきたした事例があつた旨仄聞しておりますが、かかる事態は議会の運営上好ましくない影響を与えますので、爾今このような事態を排除し、庁内及び市政の明朗化を強力に推進するため議長において善処しますので、右の如き事実があつた場合は直ちに申出られたい』という甚だ不当なものであつて、市議会議員が市職員に対し不当な要求を強いているかの如き印象を表現している点は否めない事実である、況んや議長は議員に対して何等監督権をもつものでもないことを思えば、原告のこの行動が議会侮蔑の行為であることは多言を要しない。
更に原告は自己が社長である朝洋新聞紙上及びその他の場所において議会蔑視の言動をなしているが、その具体例として(イ)昭和三十二年三月五日発行の朝洋新聞第一八三号の記事中『悪意にみちた特調報告の分析』との見出しで記事を掲載し、(ロ)同月十五日発行の同新聞第一八四号の『気狂いざたの議長懲罰』と題する記事の掲載、(ハ)同年六月五日同新聞第一九二号『反議長派のゴロツキ的言辞』と題する記事の掲載、(ニ)昭和三十年十一月三十日本会議休憩中議会事務局での大池、酒井、中畑、権堂、岡崎、宮崎、各議員に対し『お前等ガラクタ議員どもタバになつて来い』との罵倒的発言その他度々の事例がある。右の如き屡次に亘る記載事実や発言は明かに議会の権威を冒涜し、議員を侮辱し議会の円満なる運営を阻害する顕著な行為というべく、しかもこれらの言動が議長の職にある原告によつてなされたところにその責任特に重大なものがあるといわねばならない。
(四) 懲罰理由(四)に記載されている市政調査特別委員会の報告とは、昭和三十一年九月五日の議会で成立し、『富野市有地管理に関する件』及び『予備費より交付金の支出に関する件』の調査を付託された委員会の報告のことであつて、右委員会は昭和三十二年一月十八日の本会議に右二件についての調査結果を報告したが、その報告の要旨は、富野市有地管理に関する件については、『富野市有地四三九番地の一の内十九坪は一応市議会総務委員会では処分を了承されているが、これに伴う春永氏との市有地売買契約が成立し然る後登記を終つて初めて春永氏のものになるのであつて、春永氏の証言にもある如く、総務委員会の結果と一課長の単なる口頭による建築面の承諾のみを以て当該市有地が自分のものであるが如き考え方で家屋の建築を春永氏がなしたことは、理由としては一応もつともらしい証言を行つているが、県土木事務所に提出された建築許可申請書の土地使用に関する書類を調べたところ、春永氏は本市と二ヶ年間の賃貸契約が既に結ばれたものとして虚偽の申請を行つている事実が判明している。市有地が個人のものになるということと、その土地に家屋を建築するためには一課長の単なる口頭による承諾のみでなさるべきでなく(助役以下代決規程第五条、第七条)あくまでこれは正式文書による手続を了して初めて実施さるべきであり、これを裏付する何等の正式文書も認められず、又払下げにしろ賃貸にしろ、何等使用料も春永氏から市に納入されて居らない以上、これは明らかに無断使用であると断定せざるを得ない。尚又問題は昭和二十七年九月十七日より昭和三十一年五月の市議会終了後迄、市有地売買契約の解決が見られて居らず、春永氏は昭和二十七年十月には小倉市の教育委員であり又現在小倉市議会議長の要職にありながら、この問題を自ら進んで解決する努力の片鱗だに認められない、むしろ其の責は全部市当局にあるが如く言つて居るが、市当局としては昭和三十一年六月契約の事務処理をして春永氏に送付したところ、一方的なことでは承諾し難いとこれに応じて居らないが、春永氏に対する市有地処分の取扱は一般公入札で春永氏が落札の上決定されたものではなく、申請に基きむしろ匿名的な処分の取扱いであり、当然市としては一方的であつたとしても、春永氏はこれを承諾し一日も早く本件の解決をすべきであつたと思われ、尚且つ今日まで契約が完了されていない事実を思考するとき、一般市民の立場ならば別であるが、議員であり、しかも市議会を代表する議長の立場上正常な行為であるとは認め難く、本問題については市民に及ぼす影響甚大なるものあるを痛感し、その政治責任の重大なることは見逃せない。畑中直氏が当時の総務課長として春永氏との市有地売買契約もなさず又正式文書による上司の決済も得ずしてこの問題の根幹をなす建築面の承諾を軽々しく、しかも口頭でなしたことは、当時の担当課長として市有地の管理が万全であつたとは認め難い』というのであり、予備費より交付金の支出に関する件については、『予備費より交付金の支出については、昭和三十年十二月春永議長が期末手当を戻入しこれを財源として小倉炭抗に寄附することで議長交際費より五万一千円を立替えた、ということが原因となつているものである。本委員会においてこれ等の面について詳細に調査検討をした結果、春永議長が期末手当を戻入したことと小倉炭坑に寄附した行為とは、春永議長、畑中局長、室係長の証言によれば「期末手当を戻入しこれを財源とする」との言辞が使用されこの場合の寄附は単なる立替であると述べている。然し当初これを社会福祉協議会に五万一千円を持参した松本書記並びに社会福祉協議会関係者の証言又その事蹟及びこれを処理する過程に於て、春永議長、畑中局長、室係長も何等かの形に於てこれが寄附として処理されていることは承知しており、これが寄附金であることは間違いのない事実である、よつて議長の期末手当の戻し入れと小倉炭坑への五万一千円の寄附とは別個のものと思料せざるを得ない。例え立替金であろうと寄附金であろうと、市から社会福祉協議会に交付された金は社会福祉協議会に受入れさるべきにも関らず、これを春永議長が私する様な違法な事務手続をなし、市の交付金を宙から宙に処分したことは言語同断の処理と云わざるを得ず、その責任をまぬがれないものである。而もこれに対する完全なる事務処理もなされておらず、市の交付金が斯くの如き処置によつて使用されることは誠に遺憾であり悔を将来に残すものと思われるので厳にいましむべきことである』というのである。
しかして翌十九日の本会議は右のような委員会の報告を承認可決した。
ところが原告はこれに対して否定的言動をなしたので、議会は昭和三十二年三月九日本会議において出席停止五日間の懲罰を議決したのであり、決して議員の身分と関係のない個人行為に過ぎないと認められるものではない。明らかに議会の品位を傷つけること甚しいものであるにかかわらず、原告はその後に於てもあくまで前記委員会の報告を無視し、誹謗の言辞をたくましくしていたものであつた。
以上の事実は何れも議会の品位を汚すこと甚しく、議員を侮辱し、民主的な議会の運営を阻害したものであつて、地方自治法及び被告市議会会議規則に違反するものとして、正規の議決手続により本件懲罰の議決がなされたものであるから、何等被告市議会に違法な点はない。しかして被告市議会は原告の非行について為した過去の懲罰原因事実自体を取りまとめて数学的に加算し除名の重刑を決定したものではない。
すなわち原告は各過去の懲罰議決の為された後、原告に新たな非行はないと主張しているけれども、決してそうではない。
(イ) 前記懲罰理由(一)については、原告が懲罰を受けたとの被告市議会の主張は『全く事実無根であつてかかる卑劣極まる虚構手段を用いたことは看過できない、公の席上で取消を求める』とし、被告市議会に対し昭和三十二年一月二十一日附の文書により『被告市議会に小倉市の重要な決議機関の権限を信託することは市政運営上まことに危険である、議員は早急に総辞職すべし』との趣旨の小倉市議会議員春永孚名義の『被告市議会議員総辞職勧告書』をつきつけたのみならず、公私のあらゆる場所において右趣旨の発言をなし、以て公然議員並びに議会を侮辱し議会の品位を汚しつゞけていたものである。
(ロ) 前記懲罰理由(二)についてもまた、右勧告書において『これに賛成した二十一名の議員の判断が終始一貫感情に由来し、公正にして適正な判断を誤つたことに起因することは勿論、議会を極度の混乱に陥らしめた主因となつたことはいうまでもない。従つてこれに基く不信任議決は法的には勿論道義的にも無効である』、『かかる議員を構成員とする市議会に重要な議決機関の権限を信託することは市政運営上まことに危険である』と公然議員並に議会を侮辱しその品位を甚しく汚したものであり、同趣旨のことをあらゆる席において公言主張していたものである。
(ハ) 前記懲罰理由(三)については既述したところに追加する必要を認めないほどであるが、原告は常に自ら独りのみを尊しとする独裁的封建的考えを基盤として、市議会の粛正が自己の使命なりと高言し、独善専横に終始し、民主政治の何んたるやを根本的に理解しないもので、その言動はこの思いあがつた横着に起因するのであつて、斯かる掲示さえ今なお当然と考えているに至つては、民主議会の組織構成員として全く許し難い存在といわなければならない。『ガラクタ議員共たばになつて来い』との暴言を議長室で議員に向いなすに至つたこと此処に由来するものというべきである。
(ニ) 前記懲罰理由(四)についても既に明らかにしたとおりであるが、『今日に至るも悔悟反省の色なく、右特調の調査結果に今尚非議をたくましうしている』との点について附言すると、原告は昭和三十年期末手当を辞退し、又個人として昭和三十年十二月二十六日金五万一千円を歳末たすけあい運動寄附金として小倉市議会議長の肩書をつけ、小倉市社会福祉協議会に寄附し、(この寄附は小倉炭坑労働者に分配するという条件附)、これを誇張して一般市民並に社会に美挙として印象附けたのであるが、調査の結果によると、昭和三十一年四月に前記協議会から小倉市に対し金五万一千円の助成金交付申請がなされて許可裁決され、右金額が小倉市から同協議会に交付されたものを全額そのまゝ同協議会から受領し原告個人の預金口座に振込み不正に領得している。すなわち原告は市議会議長としての昭和三十年期末手当の受領を辞退して美名を博し、更に五万一千円を小倉市社会福祉協議会に歳末たすけあい運動の資金として寄附することにより貧困者の感謝を得たが、最後に自己が会長である小倉市社会福祉協議会から歳末たすけあい運動の資金として小倉市に五万一千円の助成金交付申請をなし、市から同協議会に交付された五万一千円を原告個人において受領しているから、結局原告は市の交付金を寄附したことになり、全く出捐することなくして期末手当を辞退した美挙、歳末たすけあい運動資金を寄附したと云う美名並びに貧困者の感謝をかち得たことになり、売名と公金の不正領得をしているのである。又富野市有地管理に関する件についても、その実体は無断使用であり、その払下についても市議会議長の職にある者として甚しく公明を欠き、議員としての品位を汚すものであることは極めて明らかである。
右各件についての前記特別調査委員会の報告を被告市議会が裁決したところ、これを被告市議会を侮辱する言辞を以て否認したため、原告は昭和三十二年三月九日の議会において五日間の出席停止の懲罰を受けたのであるが、右懲罰議決に対し、これを違法であると論難し(何等救済をめる手続はとつていない)、その主宰する朝洋新聞(昭和三十二年三月十五日、同年六月五日各発行日付)紙上に『気狂いざたの議長懲罰』及『反議長派のゴロツキ的言辞』等の見出しで被告市議会並議員を侮辱し、その品位を汚す記事を掲載し、且つ同趣旨の言辞を公然となしつゞけ、前記金五万一千円不正領得金の小倉市社会福祉協議会への返納などの誠意は全然みることができなかつたのである。
原告は原告の前記言動は個人的行為であつて議会での懲罰の対象にはなし得ないものであるかの如き主張をなすが、前掲昭和三十二年一月二十一日附の被告市議会に対する総辞職勧告書は小倉市議会議長春永孚名義のものであり、福祉協議会に対する寄附金問題も小倉議会議長としての期末手当に関するものであり、市議会議長であるが故に右福祉協議会の会長となつているものであるばかりか、関連は小倉市に対する助成金交付申請受領にも及ぶものであつて、断じて個人的行為ではなく明らかに公人すなわち小倉市議会議長としての行為であり、議会での懲罰の対象になり得るものであることは多言を要しない。又市有地無断使用の件についても、これが個人的行為、特に僅かに年令二十二才の自分の子供名義でなされているにしても、相手の実体は小倉市と市議会議長である原告との間のものであることは市民誰しも疑わないところであつて、単なる個人間私生活関係の経済行為として看過することは許されないものと信ずる。なおまた朝洋新聞は小倉市政並市議会粛正の基本的念願に基きその発行を原告が始めたものである。原告は自分は右新聞の社長ではあるが、自分が公職についた後は編集発行の責任者を別にしたので、その記事について自分に責任はないと主張しているけれども、新聞の編集発行の責任者は形式的なもので、その実体権限は一切所謂社長にある場合が殆んどであることは天下周知のことである。原告が社長であり、社屋は社長のものであり、そこに社長は居住し、記者は僅かに二、三名で社長が一応はゲラに目を通している本件の場合、実質的にその記事に対する政治的、社会的責任が原告にあることは当然であり、小倉市民は朝洋新聞は春永さんの新聞であると信じて疑つていないものである。
しかして原告は叙上詳細説明して来たような事由を内容とする前記懲罰理由を目して、いづれも地方自治法第百三十四条或は小倉市議会会議規則に該当しないと主張しているが、既に明らかにしたように、懲罰の対象とされる言動は単に会議中及び委員会での言動に限定さるべきものではなく、議会の威信保持及び議会、委員会運営と重要密接な関係ある場合においては、議場並に委員会場以外の言動もまたその対象となるべきであり、このことは、議会が有している紀律権の当然の結果である。
ところで原告は仮りに懲罰が適法であるとしても、除名処分は裁量権の範囲を甚だしく逸脱したもので取消さるべきであると主張するが、さきに詳細説明したところから明らかなように、独断専横、議長の職にあるを奇貨として、独り自ら尊しとなし、円満な議会の運営をことごとに阻害し、自己の主宰する朝洋新聞を利用して反対する議員、議会を無視誹謗、侮辱の限りを続け、度々の議会の懲罰及び不信任によるも毫も自省するところなく、又何等改めることもなかつたため、議会としても万止むなき処置として敢て最高の懲罰たる除名を以て臨んだものであつて、決して裁量権の範囲を越えたものではない。」と答えた。
(立証省略)
理由
原告が昭和三十年五月二日以来被告市議会の議員であること、及び被告市議会が昭和三十二年六月八日開会の市議会において、別紙記載の(一)乃至(四)の理由に基き原告を除名する旨の議決をなしたことは当事者間に争がない。
そこで以下右懲罰理由の有無並びにその当否につき判断するに先立ち、その基礎たる事実関係を項目別に検討する。
ところで昭和三十年十二月十九日の被告市議会本会議において原告が陳謝の発言をしたこと、その後昭和三十二年一月十九日の臨時市議会において、議長たる原告に対し被告市議会の主張するような不信任案に基き不信任の議決がなされたが、原告はこれに応ずることなく其の後も議長の職に止まつていたこと、及び同年一月二十二日原告が被告の主張するようなポスターを小倉市議会議長春永孚名義で小倉市庁舎内に掲示したことはいづれも弁論の全趣旨に徴し当事者間に争がなく、次いで同年三月九日被告市議会が原告に対し「権威ある被告市議会の議決を無視し否定するものである」との理由で五日間の出席停止処分を議決したことも当事者間に争がない。
しかして右の各事実にいづれも成立に争のない甲第一乃至第十二号証(甲第一、第八、第十号証は各一、二)と乙第一乃至第三十三号証(乙第二十号証は一、二、乙第二十二号証は一乃至三)、証人岡崎三郎、同戸早孝太、同酒井司美、同佐々木亀、同藤本幸太郎、同山路増衛、同石崎重夫の各証言及び原告本人並びに被告市議会代表者議長明石清彦の各尋問の結果を綜合すれば
一、前記原告の陳謝について。
右陳謝は本件懲罰の理由(一)(別紙理由(一))の主たる内容になつているものであるが、その内容及び方法は被告市議会の主張するように「昭和三十年十一月三十日の市議会において議長たる原告の議事運営の拙さから市議会を混乱におとしいれて申訳ない。今後は民主的な議事運営に努力し議員各位の要望に応える。右陳謝する。」という趣旨を記載した文書を原告において朗読したものであつたこと、その原因となつた昭和三十年十一月三十日における原告の議事運営の拙さから起つた議場の混乱とは同日予定されていた四人の質問者以外に本会議における緊急質問を希望して、休憩中市議会事務局においてその旨議長たる原告に通告した議員が居たのに、原告がこれを拒否したので互に硬化し、遂に原告は議員数名に対し「ガラクタ議員ども、タバになつて来い」云々という暴言を吐くに至つたが、同日午後再開された本会議が閉会されるに際し右のような関係から閉会に異議あり、異議なしとするものがあつて議場が混乱したことを指すものであること、かくて同年十二月七日原告欠席の本会議において設置された議長(原告)懲罰委員会は同月十九日その結論を本会議に報告するまで数回開かれたが、論議が紛糾して結論の目安がつかず、懲罰委員会としては結局自治庁の見解まで求めることになり、不信任相当の示唆を受けたが遂に六対五の比率で懲罰相当と踏み切り陳謝の結論を出したこと、他方あくまで自己の措置に不当な点なしとする原告のところにも、何とか妥協の道をと考える原告支持の議員が訪れて種々説得し、遂に採決前陳謝の発言をさせる点で原告の承諾を得、当初の懲罰委員会決定の陳謝文を柔く表現し直した前記のような陳謝文を本会議において原告に読み上げさせるようにしたこと、かくして同年十二月十九日の本会議においては右懲罰委員会の報告がなされた直後、議長の任に当つていた副議長の明石清彦より「懲罰委員会の報告があつたが、これを採決する前に原告より陳謝の意を表したい旨の申入があるので異議なきや」と諮つたのに対し異議がなかつたため、原告は予定どおり前記陳謝文を朗読し議会はこれを了承して議長(原告)懲罰に関する件は打ち切りになつたこと、及びこの問題については、昭和三十二年一月二十一日付小倉市議会議長春永孚より同市議会副議長宛の「小倉市議会議員の総辞職に関する勧告」と題する文言の中で懲罰(右陳謝)を受けたことはないという趣旨で原告が言及しているほか、特に昭和三十二年六月八日本件懲罰のなされた会期中議題として問題となつたことはないこと、(しかして右勧告文については後記出席停止の懲罰のなされた昭和三十二年三月の定例会は勿論、本件懲罰のなされた同年五月市議会定例会中にも格別の問題となつたことはない。
二、前記不信任議決について。
本件懲罰理由(二)(別紙理由(二))は原告が不信任決議を受けながらこれに応ずることなく議長の任を辞さない点が主たる事由であるが、右不信任議決当時の事情として、昭和三十二年一月十八、十九日の両日にわたる小倉市臨時市議会において、十八日には後記説明する市政調査特別委員会の報告がなされ、十九日にはその承認並びに議長(原告)不信任の動議がなされると共に討論することなく、前以て用意された不信任案に基き、そのまま不信任の議決がなされたこと、しかして右不信任の理由は
「此の度市政調査特別委員会が五ヶ月に渉り二十三名の証人を喚問して慎重に調査の結果二件共に違法なる旨の結論に達し議会は特調の報告を承認し議員として極めて遺憾なる行為なることを認めた。
省みるに春永氏が本市の議会議長に就任以来議会内部及び庁内に好ましからざる空気を醸成し、春永氏の極端なる性格行為が議会の民主的運営に多大の支障を与え、市政遂行上屡々好ましからざる事態を惹起した。亦三十年十二月十九日民主的議会運営上議長として好ましからざる件にて議会の懲罰委員会より議場における陳謝の懲罰を受ける等の名誉ある本市議長として適格を欠く点尠くなかつた。依て此の機に際し議会各派交渉会の総意をもつて議長職の辞任方の勧告をなし平和的解決に極力努力なしたるも、自己の証言の正当にして特調の結論に承服し難いとの理由に依りこの道義的勧告にも応じない。依つて此に臨み、やむをえず議会は市政の円満なる運営と民主政治確立のために、洵に不本意乍ら断固として茲に小倉市議会議長春永孚氏の不信任を小倉市議会の名を以て決議する。」
というのであること、これに対し原告は前記昭和三十二年一月二十一日付「小倉市議会議員の総辞職に関する勧告」の中で大いにその不当をならし、法的にも道義的にも無効だと主張しているほか、同年三月九日の本会議において右不信任理由中にある特調委の報告に対する自己の見解を述べるに際しても、不信任が法的に根拠のないことを述べ、同月十五日の朝洋新聞(原告が社長をしている)にも同様趣旨の記事がみられるが、本件懲罰議決のなされた同年五月市議会定例会の会期中には特に右不信任議決自体を直接の対象とした議論がなされたことはないこと。
三、市政調査特別委員会の報告について。
右報告とは原告に関する「富野市有地管理に関する件」と「予備費より交付金の支出に関する件」の二件を調査付託事項として、昭和三十一年九月五日小倉市議会本会議において設置された市政調査特別委員会が昭和三十二年一月十八日本会議に報告し、翌十九日本会議において承認されたものを指しているが、被告の主張するように右報告において「富野市有地に関する件」は、原告が富野市有地(約十九坪)を無断使用して建物を建築したものと断定されており、「予備費より交付金支出に関する件」は本来小倉市社会福祉協議会へ行くべき金五万一千円を宙から宙に違法且つ不完全な事務処理をなして原告が私したもので言語同断の処置と非難されていること、これに対して原告は右市有地に関する件については、当時の総務課長の口頭による建築承諾の言もあるし、且つ総務委員会も賃貸はできないが処分することに諒承していたもので、単に事務手続が遅延したに過ぎないし、又交付金に関する件は、原告の昭和三十年期末手当金五万一千円を社会福祉協議会が市から得る助成金交付が遅れるので立替えたから、その分を市から社会福祉協議会へ支出された助成金より受取つたに過ぎず、市の交付金を私したものではない趣旨の反論をなして再審議を願いたいと述べており、右趣旨の原告の反論は昭和三十二年三月九日の本会議において他議員よりの質問に対する原告の弁明に現われているほか、前記昭和三十二年一月二十一日付の総辞職勧告文中においてみられ、又前記朝洋新聞の昭和三十二年三月五日付紙上には「悪意に満ちた特調報告の分析」の見出しのもとに、小倉市議会議長春永孚名義で「一八会(反春永議長派の会)声明の反論」と題して特に市有地問題につき右にのべた趣旨の記事が掲載されているが、その他特に本件懲罰議決のなされた昭和三十二年五月定例会会期中に議場、委員会等でこの問題が直接の対象として論議されたことはないこと、しかして前記「富野市有地に関する件」とは、原告が被告市議会に議席を得る数年前の昭和二十七年九月十二日付で、原告の長男春永驍朗名義の「市有地の賃貸又は払下申請」がなされたので、市としては当時行政財産であつた右市有地を普通財産に管理替えすると共に総務委員会では賃貸ではなく払下することに了承されていたところから、当時の総務課長が口頭で建築承諾を与えたので、原告側としては一応市より二ヶ年賃借したとして右市有地上に建築許可申請をなし建築に着手していたものであること、その事務手続が遅れたのは隣地との境界が確定せず且つ後日市から申込まれた地価が一方的であるとして原告側で受入れなかつたためであつたがその後(特調委の報告がなされ紛争が起つた後ではあるが)、昭和三十二年一月二十九日に市と名義人の前記春永驍朗との間に売買契約が成立し事務手続も終了していること、他方「予備費より交付金支出に関する件」は、原告が受取るべき昭和三十年の期末手当金五万一千円を小倉市議会議長が兼務する小倉市社会福祉協議会の歳末たすけあい運動資金に寄託金として差出し、その後右協議会へ市より交付された助成金五万一千円が原告の預金通帳に払込まれて社会福祉協議会に受入れられていないと言う事案であること、もつともこれによつて原告は結果的には何等出捐することなく新聞紙上で美挙として称讃を得ておりその間の事務処理には不備な点があるが、これは直接原告がタツチしていたわけではなく市議会事務局及び市役所係員がなしていること(右手続の不備については原告にも社会福祉協議会会長としての責任があるものと考えられる)、ところで以上に述べたような特調委の報告に対する原告の態度が議決無視、議員侮辱ひいては議会の品位を傷つける等の理由で、具体的には後述する昭和三十二年三月九日の原告に対する出席停止五日間の懲罰の理由及び本件懲罰理由(四)となつて現われているが、潜在的には本件懲罰に至るまでの市議会側の基本的な名目であること。
四、前記市庁舎内の掲示及び朝洋新聞と原告との関係。
本件懲罰理由(三)によれば、本月五日(昭和三十二年六月五日)の朝洋新聞記事及び市庁舎内の掲示に具体的にみられるように原告は小倉市議会を粛正すると称しあたかも市議会に不正あるかの如き言動をなしているが、これは議会の信望を失墜させるものでその責任の重大さを考え懲罰理由に加える趣旨の記載があるが、右掲示の内容は市議会議員が行政各部(市役所各部)に圧力を加えて行政事務に支障を来した例を聞知したので、今後そのような場合は議長宛申出られたい、議長において善処する趣旨のポスターで、原告はそれを掲示するにつき市長と話し合い、その承諾を得て昭和三十二年一月二十二日頃これを掲示したが、文書による承諾乃至届出はその後になされ、市長の方からは内容周知期間として約一週間を限り掲示することで了承されたこと、しかして右掲示については次会期の同年三月の定例会は勿論、本件懲罰議決のなされた同年五月定例会の会期中にも特に問題として採り上げられたことはないこと、なお同年六月五日の朝洋新聞記事には「反議長派のゴロツキ的言辞」との見出しがあるが、これは議長、副議長選任の斡旋役をつとめた島田千寿が自分に対して不穏当な言辞があつたと発言したことを指しているもので、懲罰理由(三)記載の「議会粛正」の原告の言辞なるものとは直接関係のあるものではないこと。
五、出席停止五日間の懲罰について。
右懲罰の直接の原因は、前記市政調査特別委員会の報告後、昭和三十二年一月二十一日の総辞職勧告文中原告が右委員会の報告(本会議において承認されている事は前認定のとおりである)を否認するかの言辞を述べていることに関し、同年三月九日の本会議で問題となり、原告の弁明がなされたが、その弁明においても、原告はさきに認定したように(前記三、市政調査特別委員会の報告についての項参照)右委員会の報告に承服し難い趣旨を述べたことから、議会無視ということで懲罰委員会の設置となつたこと、右懲罰に関しては法的根拠に疑義があるとして極力懲罰に反対する議員もあつたが、遂に多数により押し切られたため、懲罰として出席停止五日間の処分(除名を除き最大の懲罰)がなされるに至つたこと、その後同年三月十五日の議会において原告が新聞記者に対し右の懲罰は「数の暴力」であると語つた事が小倉市議会の品位を傷つけ市民に誤解を与えるものとして問題となり、原告が取消すことにより一応その問題は打ち切りになつたが、それでもおさまらない一部議員は意見として右懲罰は地方自治法に基づく正当な事由あることを極力力説したこと、他方同日附朝洋新聞には被告市議会の原告に科した右懲罰を非難した記事が掲載されたこと、しかしながら本件懲罰議決のなされた昭和三十二年五月定例会会期中議場又は委員会においてこれが問題となつたことはないこと、
などの各事実が認められる。
ところで地方公共団体の議員に対する議会の懲罰は、議会が議事運営の円滑を目的として会期中、会議体としての議会内の秩序を維持するため、その自律権に基き、議会内における議員の非行に対して議員に科するものであつて、例外的に議会外における議員の言動や会期外のそれに対し懲罰の科されることが全くないとはいえないにしても、それはあくまで例外的現象であつて、その本則とするところは、あくまで議事運営の円滑を目的としてその会期中議会内の言動に対して科されるものであり、そこからまた刑罰とは異るけれども一種の制裁という意味において、同一事実に対し重ねて懲罰を科し得ないという一事不再理の原則が導かれると解すべきところ、さきに認定した各事実によれば、別紙理由記載の本件懲罰理由(一)乃至(四)はいづれもその基礎たる事実が本件懲罰が議決された昭和三十二年五月の被告市議会定例会会期中に発生したものでないばかりか、右会期中議場又は委員会場で特に論議の対象となつた事跡もこれを見出し難く、又被告市議会の主張する総辞職勧告、朝洋新聞等に関する事項はいづれもさきに説示した懲罰権の対象となる議事運営の円滑を害する議員の言動とは直ちに結びつかず、且つ本件の事案がさきに説示した例外の場合に該当すると断ずるほどの特段の事情があるとも考えられない。蓋し叙上各証拠に弁論の全趣旨を加味すれば、原告は自らの考えを正しとする余り、その言動に自ら独り尊しとする態度が窺えないこともないけれども、これに対する反対派議員の態度(換言すれば被告市議会の態度)も決して妥当であると称讃し得るていのものとも思えず、その争の底流には所謂法的効果の及び得ない政治的な問題乃至個人的な感情問題が伏在していることが認められるのであつて、かかる事案を前説示の例外の場合に該当するとはなし得ないからである。
更にこれを前記認定事実に照らし各懲罰事由ごとに検討すれば懲罰理由(一)については議決前に陳謝の発言がなされたことは明らかで、懲罰の議決なき以上、原告において懲罰を受けたことがないと公言したとしても、それが議会無視、議会冒涜であると非難することはあたらないし、懲罰理由(二)の不信任議決についても道義的意味における政治責任の点はともかく、法的効果の発生しないことはまさに原告の主張するとおりであり、懲罰理由(三)記載の朝洋新聞の記事は前認定のとおり被告市議会主張のような議会侮辱とは直接の関係はなく、又掲示文の内容に穏当を欠く点があつても、これは原告にも首肯し得べき理由がないこともなく(すなわち掲示については議員の圧力で辞職の意を洩らした市吏員のあつたことが原告本人尋問の結果により認められ、掲示自体にもその趣旨の記載がある)、懲罰理由(四)の特調委の報告のうち、市有地問題は既に本件懲罰の以前に所謂正式の事務処理がなされて片附いている問題であるばかりか、事の起りは原告の議席獲得前のことに属し、事務手続の遅れたことは非難さるべきとしても、その理由としては原告側にももつともと思える節があつて、一途にその点のみをとらえて原告を非難する事は行き過ぎの感を免れないし、又交付金の点は原告において出捐なくして美名を得た点否定すべくもないとしても、右一点については既に懲罰として、除名を除けば最大の懲罰たる出席停止五日間の処分を受けているのであつて、いづれもさきに説示した趣旨からして本件懲罰との必然的な結びつきがあるものとは認め難いのである。
被告市議会の主張するところは、決して過去の非行を算術的に合計して本件懲罰決議となつたものではなく、議会の内外を問わず、且つ過去現在を通じてみられる原告の議会無視、議員侮辱及び議会の品位を汚す態度が問題となつた各事実に具体化しているのであつて、今後もその態度が継続してゆくことは原告の主宰する朝洋新聞記事その他により明らかであるから、その面を顧慮して敢えて除名の重罰を科したという趣旨の如くであるが、勿論具体的事実を離れた態度だけで懲罰を科することはできないし、その基礎たる事実としても問題となつた各事実が本件懲罰議決の正当な理由たり得ないことは既に詳細説示したとおりであり、必ずしも原告の議会無視、議員侮辱、議会の品位を汚す態度の具体化と認められないことは、右説示により自から明かである。
したがつて別紙記載(一)乃至(四)の理由に基き昭和三十二年六月八日被告市議会が原告に対してなした本件懲罰(除名)の議決は爾余の争点を判断するまでもなく違法として取消を免れない。
よつて原告の本訴請求は正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 川井立夫 村上悦雄 麻上正信)
(別紙)
理由
(一) 議員春永孚氏は昭和三十年十二月七日の本市議会に於て設けられた懲罰委員会の決定に基き、同月十九日の本市議会に於て陳謝文の朗読をなして自ら懲罰に服したるものであるにも拘わらず、同氏は其の後に於て右本会議に於ける手続上に若干の遺漏があるを奇貨として、右懲罰は無効であつて自分は懲罰を受けたことなき旨公言し、今日も尚同様の主張を続けている。右の如き同氏の言動は先に懲罰に服した同氏の陳謝は議会を瞞著したることに帰せしむるものであつて、議員の行動として甚しき不謹慎なものであるのみならず、多数決の意見を尊重せざる非民主的言動と言わざるを得ない。
(二) 次に議員春永孚氏は昭和三十二年一月十九日の本市議会に於て、同氏が議長としては不適任である故を以つて、不信任の議決を受けたものである。苟くも民主政治の常道を守り、政治道徳を重んずる議員ならば、即時議長の任より退くべきであることは、条理上当然と申さねばならない。然るに同氏は毫も自ら不徳を省ることなく、右不信任の決議は無効であると今日も尚公言して居る次第である。
我々は右決議は議会の自律的作用としてなされたものであつて、有効なることは勿論であると信ずる。若し春永議員が口にする如く、該決議が法令若しくは会議規則に背くものなるに於ては地方自治法第百七十六条第四項により、首長は議会に対しその再議を求むべき筈であるが、その再議要求なき一事を以つて市を代表する首長も亦その有効を是認せるものと言わざるを得ないのみならず、春永議員も首長に対して再議要求を促した事実もない。仮りに百歩をゆずり、決議としては無効なるものと仮定するも、大多数の議員が同氏の議長たることを不適任とし信任せざる意思を表明したる事実は争い難いものである以上、速かに自己の不徳を謝してその任より退くことが民主政治の常道であり、政治道徳上の規範である。然るに同氏が今日も尚何等反省するところなく恬然としてその任を辞せざるのみならず、決議無効などと公言するに至つては、正にその言動は民主政治の常道を破壊し、政治道徳を無視するものと言はざるを得ない。これ同氏を更に懲罰に付するを要する第二の理由である。
(三) 同氏は僣越にも口を開けば本市議会を粛正すると叫んでいる、この事は自己が社長として責任ある朝洋新聞紙上に於ても屡々その旨を公言発表し、本月五日発行の同紙上にも掲載しているのである。凡そ議会を粛正するとの言辞は市民をして議会に何等かの不正あるを思惟せしむる言辞であつて、苟くも軽々に看過することの出来ない言辞である。猶実例をあぐれば、不信任案が議会通過後の一月二十二日同氏は市役所内に市議会議員が市当局に圧力を加へ不正を働いているかの如き言辞を連ねたビラを貼付し、市吏員並に市民に疑惑の念を抱かせたるは、議会議員を侮辱し、議会の権威を傷けること甚しく、議長の権限を逸脱したる許し難き行為である。即ち同氏は議会構成の一員である、その議会内の一員の口から他をして不正あるを推測せしむる言辞を公言せらるるに於ては、その反響は蓋し大なるものがあると申さねばなりません。之に依りて傷けられる議会の信望は決して少々なものでないことを我々は深く思はねばなりません。軽薄なる道聴途説のデマにさへ世間は動揺を感ずる今の社会に、議員であり然も議長の任にある春永議員が軽卒にも思を茲に致さず、右の如き言辞を弄することは、氏自身が議会を侮辱し、議会の信望を失墜せしむるものであつて、その責任は重且つ大なるものがある。これ同氏を懲罰に付する要ある第三の理由である。
(四) 更に又春永議員は本年三月九日開かれたる本市議会に於て、同氏が昨年九月五日設置された市政調査特別委員会の報告を否認する言動は本市議会の議決を無視し否定するものであるとの理由を以つて、本年三月九日の議会に於て出席停止五日間の懲罰に処せられたに拘わらず、尚今日に至るも悔悟反省の色なく、右特別調査委員会の調査結果に含まるる自己の責任を履践せざるのみならず却つて右委員会の調査結果に対して今尚非議をたくましうしている次第であつて、議員として、議長として救し難い言行と申さねばなりません。
これ同氏を懲罰にする第四の理由であります。
依つて懲罰に該当するものと認める。